ダックスを飼って良かったこと、そして大変だったこと
<第2部 大変だったこと編>
ただ、自由に家を空けにくくなる
一方で、犬と暮らして大変だと感じたこともあります。
その一つが、留守番です。
愛犬を家に残していると、どうしても長時間家を空けにくくなります。
出かけていても、
「そろそろ帰った方がいいかな」
「ちゃんと待ってるかな」
と気になります。
人間だけなら、
もう少し寄り道しようとか、
急に予定を変えようとか、
気軽にできることもあります。
でも愛犬が待っていると思うと、そうはいきません。
愛犬と暮らすということは、自分たちの生活だけを基準に動けなくなるということでもあります。
これは実際に暮らしてみないと、なかなか分からない部分かもしれません。

病気になることもある
長く一緒に暮らしていると、病気の心配も出てきます。
アンリも、いろいろな病気を経験しました。
てんかん。
軽いヘルニア。
前庭疾患。
前立腺肥大。
もちろん、ここで病気の治療方法について詳しく書くつもりはありません。
その子によって状態も違いますし、判断するのは動物病院の先生だと思っています。
ただ、飼い主として感じたのは、
病気になると、心配する時間も一気に増える
ということです。
普段と少し様子が違うだけでも気になります。
歩き方。
食欲。
寝方。
元気があるか。
毎日見ているからこそ、
「何かいつもと違う」
と感じることもあります。
犬は自分で、
「ここが痛い」
「今日は気分が悪い」
とは言ってくれません。
だからこそ、飼い主が普段の様子を見ておくことは大切なんだと感じました。

年齢を重ねると、介護も始まる
アンリは17歳まで生きてくれました。
年齢を重ねるにつれて、少しずつできないことも増えていきました。
老犬介護で特に大変だったことの一つが、おむつ交換です。
若い頃には必要なかったことが、年齢とともに必要になっていきます。
それまで普通にできていたことが、少しずつできなくなっていく。
そういう変化を目の前で見るのは、やはりつらいものがありました。
食べられなくなっていく姿を見るのもつらかった
もう一つ大変だったのが、食事です。
アンリは年齢を重ねるにつれて、だんだん食事を食べられなくなっていきました。
最初はフードをやわらかくしてみたり、
好物の缶詰を混ぜたりしました。
少しでも食べてほしい。
何か食べてくれないかな。
そんなことを考えながら、いろいろ試しました。
それでも、だんだん食べる量は減っていきました。
最後のほうは、チュールをシリンジで少しずつ流し込んであげることもありました。
今思い返しても、あの頃は、
「何とか少しでも食べてほしい」
という気持ちでいっぱいだったと思います。
介護そのものの大変さもあります。
でも、それ以上に、
今までできていたことが少しずつできなくなっていく姿を見ること
の方がつらかったのかもしれません。
老犬は、赤ちゃんを世話しているような感覚だった
これはあくまで私自身が感じたことですが、
老犬介護をしている時、私は人間のお年寄りを介護しているというより、
赤ちゃんを世話しているような感覚
になっていました。
おむつを替える。
食事を食べさせる。
体調を気にする。
眠っている姿を何度も確認する。
できないことが増えていくほど、
「自分たちがやってあげないと」
という気持ちが強くなっていきました。
そして不思議なことに、
手がかかるようになればなるほど、愛おしさも増していきました。
弱っていく姿を見るのはつらい。
それでも、そばにいてあげたい。
できることは全部してあげたい。
そんな気持ちでした。
生きている時は「介護してあげている」と思っていた
アンリが生きている時、私はどこかで、
「介護してあげている」
という気持ちがあったと思います。
おむつを替えて、
食事を工夫して、
シリンジで食べさせて、
できることをしてあげている。
そう思っていました。
でも、アンリが亡くなったあと、その気持ちは変わりました。
もっとしてあげたかった。
もっと世話をしたかった。
まだできることがあったんじゃないか。
そんな気持ちになりました。
そして今振り返ると、
介護してあげていたというより、介護させてもらっていた
という感覚の方が近いです。
私たち夫婦が子供がいないのもあったのかもしれませんが、
赤ちゃんの世話をアンリが体感させてくれていたように感じたのです。
一緒にいられる時間には、いつか終わりがあります。
その最後の時間まで世話をさせてもらえたこと自体が、大切な時間だったんだと思うようになりました。